【ゲスト教授】佐藤昭次郎 ”カクテル、この一杯を至高の一杯に”

写真・記事:瀬尾泰章

どこか涼しげで、暖かみのある立ち姿。

今回のゲスト教授は、バーテンダーの佐藤昭次郎さん。全国約4700人を束ねる日本バーテンダー協会の会長を勤めた後、現在は、協会の上の組織となる、カクテル文化復興会の初代理事長として、カクテル文化の復興と、バーテンダーの育成に励んでいる。日本、世界大会の審査員も務め、講演、指導などで全国を飛び回る多忙な日々。それにも関わらず、自身のお店である「Bar CASK」(大分市)に立ち続ける。やりたい事は山ほどある。現在70歳。挑戦に、終わりなし。

※インタビューの時、昭次郎さんは、ずっと立ちっぱなし。こっちのほうが、楽なんですよ、と。

昭次郎さんは、どういうきっかけでバーテンダーになられたのですか?生い立ちを教えていただけますか。

私の小さい頃、家があまり裕福ではなかったので「高校や大学には行けないかもな」と、思っていました。私には親父がいなくて、おふくろが1人で働いていたのでね。当時は、集団就職というのがあって、中学を卒業したら、多くの学生が大阪などに働きに行っていた時代でした。なので、私も中学を卒業する時は、就職する事を考えていたんです。しかし働きながら学校に行けるという、商業高校の定時制があるというのを知り、そこに進学しました。

高校3年生くらいの時に、お酒というものに興味を持ちました。「お酒って、どうしてできたのかな。いつからあるのかな」など、そういう所から興味を持ったんです。

卒業を間近にした私は、「普通の会社なんか入っても、なかなかすぐには社会と戦えないだろう」と思っていました。何か独立してできる事はないかなと思っていた時に、知り合いに「バーテンダー」を紹介されたんです。お店に連れらて、その時は店の中には入れませんので、店の裏から見ていたのですが、見事にカクテルをつくっていく姿は、とても格好よかったんです。洗い物がたまっていたので、お客さんがいない時にカウンターに入って洗い物やってあげたら、マスターが「ボク飲んでみるか?」というんです。シェーカーに残したものをちょっとだけ、いただいたんです。それを飲んだら、これまた、生まれて初めて経験する味ででしてね。うまいな~、って思ってね、それで私は聞いたんです。

「こういう仕事って難しいですか?」と。そしたら、「きちんと師匠について修行をすれば覚えられる」というんです。そして、突っ込んでいろいろと話を聞いていたら、そんなにお金がかからずに独立できるんではないかなと感じたんです。その時、戦後の第1次ブームでカクテルがすごく流行っていたんです。お客さんがあふれるくらい来ていたんですよ。「これはいいぞ!私も頑張ったら、自分のお店を一軒持てる。人に使われる、どうこうではなくて、自分の力で社会と戦える」とね。それから、18歳になったので、そのお店に入って、バーテンダーの見習いをやっていました。

そして「バーテンダー協会」に所属した時に、当時の大分の支部長さんが「昭ちゃん、どうせバーテンダーするなら、東京に行って、良い師匠について、本物を学んでから大分に持って帰ったらどうだ」と言われたんです。よし、じゃあ行こう!と、卒業と同時に東京に行きました。師匠について、それからが私のバーテンダーとしての始まりですね。そのバーには約4年間勤めました。昭和39年の時「大分にもだんだんとバーができだし、バーテンダーがいないので、もうそろそろ帰って来いよ」と、言われ、それで大分に帰ってきたんです。

大分では最初、一流クラブのバーに入ったんです。大分の田舎にしては、素晴らしいクラブでした。給料は、他のところと比べると、一番安かったんですが、やはり、ここなら良い仕事できるなと思い、選んだんです。そのバーには、輸入洋酒ばかり置いていたんです。僕らが、「一回飲んでみたいなあ」というのが並べてありました。そのバーで11年間がんばって独立、今のお店「Bar CASK」をつくりました。昭和50年、私が34歳の時でした。

昭次郎さんにとって、バーテンダーの魅力って何ですか?

私の仕事には、到達点がないんです。技術もそうですが、これでよし!というのがないんですよね。常に勉強です。やればやるほど、課題がみえてくる。そしたらその課題に取り組まないといけない。「やる事がなくなる」、事がないです。やりたい事はおそらく生きている間に全部到達できないだろうと思っています。もっと技術も磨かないといけないですし。お客さんに失礼があってはいけないので、最高のものをださないといけないです。お客さんはね、一生懸命働いて、そして美味しい一杯を求めて、バーにやって来られますからね。だからその期待に答えて、この一杯を至高の一杯にしないといけないんです。

あとは、いろんな人を知る、知り合えるって事でしょうね。ボクは52年やってますから、52年間、相当の人数の方と知り合って、触れ合ってきました。私たちはお客様によって育てられたんですよ。いろんな人の、感覚を吸収できるでしょ、ありがたいですよ。お金払っていただいて、勉強させていただいているですからね。

そして何よりこの仕事には定年退職がないですからね。
ここに立てる間は立っておきたいですね。

シェイクしている時ってどういう気持ちでやられているのですか?

よくお客さんから「マスター、シェイクしてる時、どこみてる?」って聞かれるんですが、実はどこも見てないんです。ほとんど神経はシェイカーの中に入っているんです。今、シェイカーの中がどういう状態になっているのか、そういう時に話かけられても返事もしませんよね。話かけられて、ぱっと神経がそっちにいくと、カクテルに失礼ですから。結果、お客さんにも最高のものがだせなくなると、大変失礼です。

入れたお酒と氷の動き。今どういう状態になっているのか。どうまわっているか。例えば、3つのもを入れたら、シェーカーの中で、3つのもの味を整えて、新しいものを生んでいるんです。混ぜているんではないんです。誕生させているんです。シェイキングする事によって、液体の中にエアを含むんです。すると柔らかくなるんですよ。3つのものを1つにまとめて、そして気泡で包むんです。これでつくった事によって口当たりが良くなる。丸みがでるんです。普通の人は、長く振ったら氷が解けるから、2オンスいれたら、3オンス出てくるんです。私は、反対に減るんですよ。何故かっていうと、果汁を入れたら、そっちの部分は凍り付くんですよ。で、アルコールの部分しかでてこないから。僕らがやったら氷は解けないんです。

すっきりした味を出すときは、ミキシンググラスを使い、ステアしてつくるんです。角をだしてやるカクテルですね。マティーニとか、キレのあるものはこれです。若いバーテンダーで、まったく知らなく、ただ冷やしとけっていうのもいますけどね。何故ミキシンググラスで、ステアをするのかという理由がわからない。ほんというと、シェキイングより、ステアリングが難しいんですよ。

シェイカーを降る姿って「ザ・バーテンダー」という感じでカッコいいですよね。やっぱり少し意識されてますか?

私も若い時は格好つけたりしましたがね、50年もやっていると格好つけるとか、そんなのないですよね。もう自然体ですから。若い時にしっかり基礎をやって、自分のものにして、自分のスタイルをきちんと作らないと、駄目ですね。基礎をつけるのに、10年かかるといわれています。カクテル自体をつくるのは、素人でもできますけど、本質的にしっかりやろうと思うと、やはり年数はかかります。

僕ら、そんなにシェイカーを激しく振りませんよ。でも、中はすごく回転してます。若い人は、格好つけて激しくシェイクしてますが、私の場合は、シェイカーの中では彼らの倍は回っているでしょうね(笑)

カクテルの歴史って長いんですか?

実は、現代カクテルはアメリカで発生して、まだ150年くらいの歴史なんです。カクテルは簡単にいえば「ミックスドリンク」ってことです。だからそういう意味でいうと、昔、インドのマハラジャ達がパーティーなどで「パンチ」といって5種類のものを合わせた飲み物を飲んでいたんですが、それもカクテルです。紀元前にさかのぼり、もっと古くは、人々はワインの中に、海水やオレンジジュースなどを混ぜて飲んだりしていたといわれていますね。それも広い意味でいったらカクテルなんです。2種類以上のものを混ぜて飲むと、カクテルですから。イギリスで発行されたサッカレーの著書に「貴官は、コニヤックにアプリコットを混合した(こわく酒)を召し上がりましたか」という会話が記載されている、この頃からカクテールという語がイギリスで用いられました。

アメリカはご存知の通り、移民の国ですから、独自のお酒がないんです。ですから、いろんな所でかき集めてきたお酒などを、混ぜて飲むという習慣ができたんでしょうね。カクテル(Cocktail)とは「コックテール」という事ですから「鳥のしっぽ」という意味なんです。そのいわれは、色んな面白い話はあるんです。あるバーテンダーが、グラスにお酒を入れて、鳥の尾で混ぜていたんです。そこでお客は「それはなんだ」と飲み物の事を聞いたんですが、そのバーテンダーは、道具の事を言われたと思って「コックテール=鳥のしっぽ」っていたんです。それから、Cocktailとなった、とかね。

そして、カクテルが世界に広まったのは、禁酒法時代に、アメリカではお酒を飲めないものですから、バーテンダーが失業するんです。それで彼らはヨーロッパにどんどん渡って行ったんです。ヨーロッパは歴史が古いですから、リキュールの種類も沢山があったので、それをどんどん混ぜていって、カクテルが発達していきました。そして禁酒法がとけたら、また彼らはアメリカに、発達した文化を持って帰ったんです。

カクテル文化は今、どんどん進歩しています。カクテルの歴史はまだ若いです。人間いうのは探究心がありますから、どんどん探求して作っていきますよ。

バーテンダーの大会がありますが、どういう感じで行われているのですか?

大会は毎年あります。例えば、大分で優勝、準優勝すると、九州地区大会に。そこで優勝、準優勝、三位が、全国大会に。そして全国大会の優勝者が世界大会にいけるんです。

大会はまずは、ペーパーテストから始まります。それからフルーツというのがあります。これは3種類か、4種類のフルーツを10分以内に奇麗にカットして盛りつけをします。それから「課題カクテル」というのがあります。今年は、「マンハッタン」でした。それを一番大きいミキシンググラスで、5杯分つくるんです。もちろん全て目分量でやります。そして最後に、「創作カクテル」というのがあります。これも自分で考えたカクテルを5杯分つくります。

これらは全て技術がみられます。フルーツの場合はナイフの使い方から、キレだとか、作品の出来映え。課題カクテルになると、ステアの技術ですね。そして立ち振る舞いなど、全てみられています。創作カクテルは、技術は勿論の事、名前が覚えやすいかどうか、そして最も大事なのは「色と味」です。そしてこのカクテルが、いかに普及性があるかというのもみられています。

名前を1つつけるのもなかなか難しいんです。名前は過去に出てきたものは駄目ですから。でもね、昔からオーソドックスにある名前っていいでしょ。マティーニとか、サイドカーとか。ネーミングと味覚がいいから残ってきたんですよね。残らないカクテルって沢山あります。その中で残ったオーソドックスカクテルというのは日本で3000種類あります。新しく作られたカクテルが、約2000あるので、全部で5000種類くらいのカクテルがありますかね。

日本のバーテンダーの位置づけは、世界からみてどうなんですか?

去年、ワルシャワで行われた世界大会で、横浜支部の山田高史君が優勝したんです。すごい事に部門賞を全てとっての優勝でした。私は彼を最初からみていますが、世界一なるまでに15年かかりました。山田君もそうですが、今、日本人のレベルはすごいんです。日本人は、技術的には昔から評価が高かったのですが、大会では今まで「味覚」のところで落ちていました。

日本人が味覚で落ちる? なにかそれ、納得いかないですね。

日本人は、グッと甘いものとか、作らないんです。日本人の思考というのはとても繊細なので、非常に柔らかい味で、そういうのをだすと、世界大会ではうけないんです。グッと甘いのが通るんです。しかし、この2、3年で世界もだんだん変化してきています。ソフトな味っていうのが、最近は好まれだしてきました。ワルシャワでは私は審査員でしたが、他の審査員は彼のその味を評価したんですよね。私は日本人なので彼のジャッジはできないんですが、24人の審査員のほとんどが彼の味を評価したと思います。今までは日本人は2位とか3位にはなるけど、優勝まではいけなかったんです。素晴らしい事です。色にしても、昔は赤い色ならはっきりした色が好まれていたんですが、最近は色も淡い色に評価もでてきました。世界の感覚、味覚も変わってきているんじゃないかなと思います。日本のバーテンダー、カクテルっていうのは、今、世界が注目してます。

若いバーテンダー、そしてこれからバーテンダーを目指そうとしている人に何が大事だと、伝えたいですか?

バーテンダーとしてのマナーなどは細々とありますが、やはり一番大切なのは清潔感。きちんとした、態度と清潔感。バーテンダーは技術者でもあるのですが、第一線の営業マンでもあるんです。立ち振る舞いにしてもきちっとやってないとお客様に失礼です。「普段の生活からきちんとしなさい」と、若い人には良く言うんです。今やっと、バーテンダーというのが、職業的に社会で認められてきた。「バーテンダー」が、職業として本にも載っているんです。今そこまでやっとなりました。私は、ピアスして、茶髪、香水なんかつけてくる者には、絶対にカウンターの中にいれませんね。

バーカウンターの中ってやはり戦場なんですか?

私はいつも言うんですが、バーテンダーは「白鳥と一緒」だと。上半身は動かすなというんです。ゆったり、する。下は、しっかり動けとね。水面は静かに美しく、下はしっかり動く。上が激しく、動くのは見苦しい。私らの仕事を、お客さんはみているんです。だから、いかに美しくかっこ良く動くかが大切なんです。お客さんがみてて、惚れ惚れするような、そんな作業をしたらいいんです。

ある時、日本舞踊のおっしょさんが来て、ずっと私の方をみているんです。3日間連続で来て、ずっとみているんです。3日目の時に「マスター分かった!あなたの動きは全部、円ですね。ありがとうございます」っていうんです。角に動いてないから、違和感がなく、スムーズなんだと。たまに、激しく動いているバーテンダーをみますけど、見苦しいですよね。肩凝ってしょうがないってね(笑)

あれ、この広告は、昭次郎さんですね。

サントリーさんからね、角瓶の広告にでてくれってことでね、出させていただきました。それで、インタビューの中で、角をどうやって飲むんですか?って聞かれたので、私はハイボールで飲むんです、と。私は水割りが駄目でね。それから、お客さんがうちに角のハイボールを飲みに来だしたんですよ。来る人来る人、ハイボールっていうでしょ。で、販売店にもどんどん角を注文するもんだから、サントリーの支店長さんが、「佐藤さん、角がどんどんでているけど、どうして?」と。それで、ハイボールが出ているんです、ってね。それで、東京の会議で、その支店長さんが、言ったらしいんですよ。角にはハイボールだって。それで、小雪さんがでて、ハイボールのCMとかになりましたよね。その後、支店長さんに「角のハイボールは佐藤さん、あなたが火をつけたんですよ」っていわれて、「えっそんな事ですか〜」ってね(笑)

なるほど、その「ハイボール」ってアメリカでつけられた名前ですか?

そうですね、ハイボールはアメリカが初めですね。昔はね、ウィスキーを水なんかで飲みませんから、ソーダだったんです。語源になったのは、西部開拓時代、だだっ広い草原に駅があり、列車が駅で止まって、乗客が休むんですね。そして駅でウィスキーをソーダで飲んでたんです。船は、港に止まっている時に、今、港にいますって、黒い玉を高くあげるんです。停泊してますよという印として。それを鉄道も真似てやっていたんです。それで、列車が止まっている時に一杯やろうというのが、「ハイボールしよう」となったんですよ。

今後の目標、やっていきたい事を教えていただけますか?

一番やっていきたいのは、後輩の指導ですね。きちんとしたものを継承していきたいというか、伝えていきたいですね。私はね、50歳くらいまでは、人に教えるということを拒んできたんです。自分が一生懸命苦労して勉強してきたものを簡単に教えるかってね、そういうのありました。50歳過ぎから気づいたのは、技術や知識などは死んであの世に持っていけないから、どんどん後輩に教えていかないといけないなという事だったんです。全部はきだそうと思いました。私も70歳になりましたが、自分がやってきた事を継いでくれる人を育てていかないといけないな、と思いますね。

バーテンダーとは、こうあるべきだというのを教えていきたいですね。技術だけでなくてね。私たちの諸先輩方が、尽力され、やっとバーテンダーが、世の中に認知されたんですからね。しっかりやっていかんとね。ほんと、これからですよ。

あっ。そういえば、昭次郎さんの好きなカクテルって何ですか?

沢山ありますからね。でも、作るのが難しいのはマティーニですね。
単純なだけに、奥が深いです。

++++++++++ お店情報 ++++++++++
Bar CASK(カスク)
大分県大分市都町3丁目2-35 山下ビル2F
営業時間:19:00~02:00(日曜定休/12/31~1/1休業)
TEL:097-534-2981

Share on Facebook

written by

ウラハラ藝大代表 Photographer | 写真家

Leave a Reply

Want to join the discussion?
Feel free to contribute!

コメントをどうぞ