【レポート】即興学ぼうずの見た、大達磨絵プロジェクト

人との出会いは、いつも突然やってきて、そして様々な展開へと進んで行く。

今回の、大達磨プロジェクトは、今年1月に出会った、蒲生 哲さんとのプロジェクトだ。6m x 6m のキャンバスに、3m の竹の筆。蒲生さんの表情と同じく、とても真っすぐで力強い、蒲生達磨がここ、陸前高田に完成した。

「即興学ぼうず」の、押谷祥太教授と共に、陸前高田へ。押谷教授にとって、はじめての東北。彼は何を感じ、何を、蒲生達磨に学んだのだろうか。 瀬尾泰章より

※大達磨絵プロジェクトのページはこちらどうぞ。完全ドキュメントがご覧いただけます。

以下、
文章:押谷祥太 
写真:安田有美、瀬尾泰章

今回の陸前高田市での大達磨絵プロジェクトは何を隠そう「何のためでもないプロジェクト」と自ら称している。なぜ、何のためでもないことをするのか。そこには「ただ、今を生きる」という、即興の神髄が隠されていた。

≪陸前高田市の人達≫

岩手県陸前高田市といえば、昨年の震災で最も被害を受けた地域の一つである。現地に行ってまず目に入ったのは、一面の野原だった。元は人工物があったのであろうその野原は、自然の猛威によって一瞬にして出来上がったものだ。人の儚さというものを肌で感じた。しかし、目に見えるものは消え去れど、見えないものは生き続けていた。陸前高田市の皆さんの絆。それは、以前訪問した新潟県長岡市の皆さんにも負けず劣らずの強さがあった。だが、この人達の絆は長岡市の人達とは違った色を持っていた。長岡市の人達は未来を向いていたのに対し、陸前高田市の人達は今に目を向けていた。もちろん、街をより良くしていこうとする根本は変わらない 。しかし、陸前高田市の皆さんは、過去も未来も気にしていない。ただ、今を生きる。そんな意志がどこかに感じられた。

本番前日の準備の様子。3メートルの筆づくりを1から行った。

≪大達磨絵プロジェクト~準備段階~≫

大達磨絵プロジェクトとは、文字通り大きな紙の上に大きな筆で大きな達磨を描くという、いたってシンプルな企画である。だが、シンプルであるが故に難しい。この絵を描く作業こそまさに即興!一発本番である。今回達磨を描くこととなった蒲生さんは、前日の夜に何度も達磨を紙に描いてシミュレーションをした。実はこの日に知ったのだが、この蒲生さんは書道家でもなんでもないのだという。いわば素人。もちろん大達磨を書くことなんてやったことがない。しかも即興でとなると、これは並大抵のプレッシャーではないだろうと思う。僕は頭の中で「もし僕が描くことになったら…」と想像してみた。もちろんプレッシャーはかかる が、それよりも楽しみのほうが大きかった。即興の面白さは、どんなものが出来るかが誰にもわからないこと。僕はこれから描かれる大達磨を想像すると楽しみで仕方なかったのだ。

≪大達磨絵プロジェクト~小達磨~≫

大達磨絵の前、集まってくださった人達に小達磨の顔を描いてもらった。皆どんな顔にしようか悩みながら描いていた。僕はなぜそんなに悩む必要があるのかと思った。人は非独創的なものを表現することを拒むという。要は平凡なもの、普通のものを表現したくないのだ。すると人はうまくやろうとしてしまう。即興で一番良くないマインドだ。うまくやろうとしてしまうと、その人そのものが見れなくなってしまう。その人がいいと感じたものしか表現しない。これはすごく残念なことだ。即興で何かを表現することは非常に勇気がいる。何も出来なかったらどうしよう、いいと思われなかったらどうしよう… 人はそんな窮屈なマインド の中で生き続けている。うまくやろうとしてはいけない。自分にとって当たり前のことを表現すればいい。それが個性。それがその人のありのまま。そしてそれは受け入れられるべきだ。俗に創られた「いいもの」を真似ることが個性ではない。間違いなんてない。みんな違ってみんないいのだ。

≪大達磨絵プロジェクト~本番~≫

幾度もの練習を重ねた蒲生さんだが、遂に本番を迎えた。紙の上に立つ蒲生さん。ここまで来れば今までのことなど関係ない。ただ描くだけだ。ここで僕はふとある言葉を思い出した。ただ、今を生きる。徐々に描かれていく達磨を見ながら、僕の頭の中ではこの言葉が渦巻いていた。そうか、このためのプロジェクトだったのか。見ている人達がどう感じたかは十人十色であるが、僕は少々大げさながらもこのプロジェクトの意義を見出すことが出来た。

≪余談~子供たちの自由さ~≫

今回の陸前高田市訪問にて、一番関わりを持ったのは地元の子供たちだ。年が近く、新しい人だということもあり、皆積極的に絡んできた。僕は普段子供たちと遊んでいる中で、思うことがある。なんて自由なんだと。自分たちが興味のあることには積極的に参加し、徹底的に遊ぶ、飽きたらまた次… と尽きることのない好奇心で突っ走る。評価なんて気にしない。自分が思ったことを積極的に表現している姿は、非常に興味深い。だが、それもいつまでもつことやら… と途端に寂しくなる。大人になるにつれて、周りに評価され、検閲される。そうしてこういった自由さはどんどん失われていく。

子供は「未成熟な大人」だと言われているが、僕は大人が「委縮した子供」だと思う。ウラハラ藝大に参加しての押谷祥太主催企画「即興学ぼうず」の学びコーナーも4回目になり、我ながら文章力もついてきたと思う。毎回多くの人たちと接することで多くのことを学べる。この歳にしてとても幸せなことだと改めて思った。特に今回の陸前高田市訪問では、震災から1年たった街並みを見ることが出来た。今まで人からは得られなかったものを得ることが出来た。陸前高田市の復興は、1年たった今でも尚続いている。これがいつ終わるのかはわからない。そして例え終わっても、人々の心の傷はいつまでも癒えることはない。そんな中でも、今を楽しく生きていた陸前高田市の人々に、人と絆の強さを感じた。震災の影響は確かに大きかった。失うものも多かった。だが、そこから得るものもあったことを、僕たちは忘れてはいけない。陸前高田市の皆さん、ありがとうございました!

文章:押谷祥太 

※大達磨絵プロジェクトのページはこちらどうぞ。完全ドキュメントがご覧いただけます。

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written by

ウラハラ藝大代表 Photographer | 写真家

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